発見された後 こっそり隠されていた「ミロのヴィーナス」

 
ミロのヴィーナス
 
仏国はルーブル美術館の至宝「ミロのヴィーナス」。

ギリシャ語ではミロス島と呼ばれるそうですが 
この島の農家の男性が偶然見つけたのが
1820年の今日、4月 8日のことでした。

その時はオスマン帝国が 
この地を治めていた頃だったので 

この男性はこっそり家に
隠しておいたのだそうです。大正解!

ところがトルコ人の役人に
見つかってしまい あえなく没収。
何をやってんだか…!

ですが 結果的にはこの没収が
「ヴィーナス像」にとって
幸運となるのでした。

その後 仏人の海軍提督ジュール・
デュモン・デュルヴィルという人が

この像を見てピコーン!
その価値を即座に理解しました。 
 

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土の中に埋もれていた「ヴィーナス像」

 
同国の大使に懇願して
トルコ政府からお買い上げ~し 
仏国政府に保管してもらったそうです。

良かった~ 役人が没収品を
そこらへ置いておいたのかしら?

でもまさか海軍の提督ともあろう人が 
他国の没収品の保管庫なんか
見たりしないと思います…。 

像はけっこう大きいですし 
どこか目立つ場所に置いてあった…

というか 放置されて
いたんじゃないかなあ…と想像します。

没収してはみたものの
どうしていいか わからなかったんでそ?
ぷぷぷ…。(`艸´)

偶像崇拝を禁じる異教徒に
没収されたのに よく無事でしたよねえ。

この海軍提督はかなり立派な人で
生涯で3回も世界周航をしたそうです。

ギリシャ遠征の途中だったようですが 

この遠征は1819年から20年までの
1年間だけのようなので「ヴィーナス像」が
 4月 8日に発見された後 

没収されてから あまり時間が
経っていなかったのかなと推測されます。

だから「ヴィーナス像」は
無事だったのでしょうねえ。

ところでウィキベディアには
1821年に描かれたとされるスケッチが
掲載されているのですけれど

今の「ミロのヴィーナス像」と少し違いますよ。

左の手が二の腕くらいまで残っています。

それに発見された時は 像の向かって右側に
碑文が刻まれた台座があったそうです。

このスケッチにもちゃんと
碑文入りの台座が描かれています。

デュルヴィル提督は 
仏国政府に保管しといてもらったこの像を 
時の国王ルイ18世に献上したんだそうです。 

そしたらこの王さまは像をルーブル美術館に
寄贈することにしたそうです。

ほほう…なかなかできることじゃない 
とても立派な振る舞いですね。 

でもってそのルーブルへ運び込む時に 
台座がどっかへ行っちゃったんですと。

決して小さくないものを
どうやって失くしたんだか…。
ったく 大事に扱ってよ。

ともあれ この芸術作品は それ以来
ずっとこのルーブルにあるのだそうです。

そして1900年ごろ 
一度だけ型を取ったことがあるそうで

今あるレプリカなどはその時に取ったものが 
原形になっているのです。

そうそう彼女はただ一度だけ 海を渡って
外国へ旅行したことがありました。

それは はるか遠い東の果ての国ジバング~! 
そう日本へ来たことがあるのです。

1964年のことでした。
(前の東京オリンピックの年ですよ~!!)

でもですね 長旅だったし
当時の輸送技術もアレだったもんで 

ちょっとだけ壊れちゃったそうで 
急いで修復して展示したんですって。

どのへんが破損したのか 
ちょっとだけ気になりますけど 
追及はしないでおきます。
 
 

「ヴィーナス像」の両腕の謎

 
ご存知の通り この像には両腕がありませんね。

長い間地中に埋まっていたので 
こういう細い部分は壊れてしまうことも

あるかとは思いますが 右の腕は
何と言うかスパッと切れていて

切れ味のいい刃物か何かで
切断したような印象も受けます。

どうすれば大理石を
こんな風に切れるんでしょうかねえ…?

れに比べて左腕の方は 
いかにも「破損しました」という感じで

こちらは自然というか 
埋まっていたんだから
しょうがないよねと思えます。

何となく右手の切れ方が不自然だなあ…と 
気になってしかたない…。

ずり落ちそうな衣装を
抑えている風もないし… 
どうしてこうなった?

ちなみに西洋美術では 
絵画でも彫刻でも 露出が多いほど
神聖さを現わしているのだそうですよ。

衣服は人工的なものなので 
きっちり身に着けているのは地上、 

それが少ないとか 
ほとんどないとかは 
天上という意味らしいです。

もしかして 最初から
右手は無かったとか…?

これまでにたくさんの芸術家が
腕のあるバージョンを作っているようで

先のウィキペディアにも 
ごろごろ載っています。

発見されて間もなく
描かれたスケッチには 
左腕がだいぶ残っていました。

それを踏まえて作られたものが…
あまりないんですけど。

あれを参考に作れば 左腕は二の腕を
ほぼ水平に上げていた様子になります。

ギリシャ神話の有名な話から 
林檎を持っていたんじゃないの…という説が
有力だそうで うん…たしかに
そんな感じがしないでもない…。 

スケッチの二の腕の様子も 
何かを高く掲げ持っていた
ような感じがします。

どっかへいっちゃった台座には 
なにか穴のようなものがあったように

スケッチされていますので 
フルトヴェングラーの
両腕を復元した像のように

左手は飾り台の上に乗って
いたかもしれませんね。

返す返すも無くなってしまった
両腕は残念ですが それでも

人々を惹きつけて止まない
「ヴィーナス像」の魅力は 少しも
輝きを失ってはいないのです。
 
お読みいただきまして ありがとうございました。
 

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